居場所が欲しい

事務局Hです。
クラファンも残り1週間を切りました。

人様からお金をいただいてまでやることなのか?

この葛藤がずっとあるので、第1目標を達成できたことは本当に励みになり、支援者の方々に「やりなさい」とご指示を受けたと思うようにしています。

私が気後れしてしまう理由の一つは、人のため、真備のため、という以上に、自分のために動いているからです。

私の実家は災害で全壊し、そのまま土地も手放すことになりました。
「もう真備には帰らんよね」と言われることもあり、それは寂しくなるね、という何の他意もない言葉ということは理解しているのですが、どうしても疎外感を感じてしまいます。

実家がないと、親・親戚がいないと、帰省してはいけないの…?

同じように実家を失くした人は、実際に「もう真備の友達には会えない」と思っていたり、真備にいる友達でさえ「もう(県外にいる)友達には会えない」と思ったりしていました。
災害はそれぐらい人をネガティブな感情(当然の感情なのかもしれません)を抱かせてしまうものなのだと実感しました。

真備の実家がなくなった人も、真備での再建に苦しんだ人も、そしてボランティアに駆けつけてくれた方々も、気軽に立ち寄れる機会と場を創出する、そんな場づくりをしていきたいと思っています。

千光寺からみたのどかな真備